土浦市で、年間50品目を有機栽培で生産する久松農園。もはや茨城県という枠にはおさまらず、日本の中に久松農園あり、といった印象をも受けます。農業塾で教鞭をとるほか、様々な場で講演を行うなど、その発言力には驚かされます。ピリリと辛くも説得力のある言葉を紡ぐ、久松農園の久松達央さんを訪ねました。
きっかけは素朴な想い
-家業が農業なわけではなく、前職では合成繊維メーカーに勤務だったそうですが、新規就農しようと思ったのはなぜでしょう。
久松さん 田舎暮らしに漠然とした憧れを抱いたからです。意外ですか? 正直なところ、ものすごく軽い気持ちでした。自給自足をしたいと思ったんですよね。畑がある場所は親戚から借りた土地などで、全く知らない土地というわけではありませんが、家族を含め農業を生業とはしていませんでした。もちろん両親には大反対されましたよ。農業法人で学んだ後、就農したのですが、最初の2、3年は辛かったですね。何度もやめようと思ったけど、成果が出てくると面白くなって今に至ります。
声とぬくもりが届く関係でいたい
-現在は直販のみなのでしょうか。
久松さん かつては直売所やイベントなどでも販売をしていましたが、2年前ぐらいからは直販のみです。個人のお客様のほか、飲食店に卸しています。ちなみに自然を守る云々のきれいごとではなく、作業として面白かったから有機栽培を選んだだけなんですけど、これが通常の慣行栽培以上に、自然の影響を受けるわけです。最終的に味を決めるのは、自然によるものもあるので、その年によって同じ野菜でも力強い味だったり、やさしい味わいになったりすることもあります。この部分を分かってもらえると嬉しいです。だから逆にどんな野菜で、どんな味を求めているのかは、どんどん言ってほしいです。使い手と一緒になって野菜を栽培する、そんな気持ちでいたいです。
おいしい野菜を作る、ただそれだけ
―昨年の震災の影響は感じませんか。
久松さん 福島第一原発の事故直後は、個人のお客さんの約3割からキャンセルが出ました。直後だけ、本当に廃業するのかなと思いました。その時に、農業を始めてからの13年を思い返したら「農業楽しかったなー」って、涙がこぼれました。そのときに、農業が心底好きなのだと気付きました。事故直後の約10日の間に、有機農業仲間で放射能について散々勉強して、農業を続けるハラが決まったので、今は何も思いません。僕はきちんと学んだから、何を聞かれても答えられます。だから今は、うまい野菜を作ろう、ただそれだけです。
【取材録】
生産者という言葉でくくるには、あまりにもスケールが大きい久松さん。野菜のことを語ると、ひいては自然環境や政治のことにまで話は及ぶ。かと思えば、急におちゃめな話をしたりもする。何事も「ひと言」ではでも表現できない人なのです。何よりも、久松農園で育まれた野菜はうまい。おいしい、ではなく「うまい」のです。