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HOMESPECIAL > 金砂郷在来のそば粉で乾麺を作る

 そば粉を販売する伊勢又さんが取り組む乾麺は、そばの香りを失わない高級品として贈答用に人気を集めます。伊勢又さんがさらに自信をもって送り出したのが地元で古来から作られていた在来種のそばです。

江戸時代から続く金砂郷地方のそば作り

-伊勢又さんのそば粉の取り組みはいつ頃からですか。

多賀野さん 祖父の代に始めて私で3代目です。創業は昭和5年ですが、当時からこの地方で作られていたそばは長野など他の地方へ運ばれていて、ほかのブランド名で製品化されていました。

-昔からそばの産地でもあったわけですね。

多賀野さん 光圀の時代からそばは作られていました。山間地で金になる作物として葉たばこが栽培され、その裏作としてそばを作っていました。良いそばの条件として寒暖の差が激しく水はけが良く、もやが出るような土地が良く、まさに金砂郷は栽培の適地だったのです。農家では葉たばこを作り、そばを作り、その後に小麦を作るというサイクルで農業を営んでいたのです。葉たばこで使った残留堆肥もおいしいそばを生みました。

「常陸秋そば」から「金砂郷在来」の発見へ

-そのおいしいそばが県外に流れていたのですね。

多賀野さん せっかくおいしいそばができるのですから、地元でそばを発信したいと、「常陸秋そば」が生まれました。茨城の奨励品種として人気も高くなり、高級なそばとして高く売れるようにもなったのですが、半面、他の産地のそばも持ち込まれるといった弊害も生まれました。いい物を作るには種子の交換を行うことが必要です。それを怠ってしまうと原種に戻ってしまいます。交換しない農家も増えています。

-ブランドを守る努力も大変ですね。

多賀野さん ほとんどが農協へ行ってしまうので、私どもも集めるのは大変です。平成16年ごろに赤土の農家の片隅にあったそばを見つけたのですが、これが普通の物より小さいのです。いわゆる昔からの在来種でした。これは小さい割りに実はふっくらしていて、殻を取ると実は同じ大きさなんです。これを取引のある農家に協力してもらって「金砂郷在来」として新たに売り出しました。

挽き立ての高級乾麺を製造・販売

-乾麺はどのように作られますか。

多賀野さん そば粉を挽いて余った残りを乾麺にしていました。うちの乾麺は石臼で挽いてをすぐに乾麺にしていきます。挽いたそば粉をすぐに使うのでいわゆる「挽き立て」の状態の麺ができます。地元産のそば粉を100%使えないのですが、「常陸秋そば」「水府そば」ともにそれぞれ味・香り豊かなそばが味わえます。

-乾麺の販売先はどちらになりますか。

多賀野さん 今のところ水戸京成百貨店や東京・伊勢丹などに限られます。そば粉自体が少なく高価なので、お値段も高くなってしまいますが、贈答品として喜ばれています。 また近場の配送に限られる3日しか持たない限定のそばも販売しています。そばのほかにもうどんやひやむぎなども製造しています。

減少傾向のそば栽培、一層のブランド浸透も課題に

-最高級の乾麺ですが、これからのそば業界にどのような展望をもっていますか。

多賀野さん 金砂郷在来などそば栽培の現状は少しずつ減少傾向にあります。ほかの農業と同じで、耕作者の高齢化などが問題です。おいしいそばを提供したくても、年々その確保が難しくなっています。それにそば通には知られる「常陸秋そば」も意外に一般の人には知られていません。デパートのバイヤーでさえ知らない人もいます。多くの人たちにこの地方のそばがおいしいという事実を知ってもらいたい。ブランド力を高める施策も必要なのではないでしょうか。

【取材録】

 多賀野さんのお話をうかがい、意外に県外では「常陸秋そば」ブランドが浸透していない事実に驚かされました。県が推進する「けんちんそば」についても、多賀谷さんは「けんちん汁に入れてしまえば、そばは米国産を入れても変わらない。わざわざ常陸秋そばを使う意味がない」と厳しい見方をしています。それでも、伊勢丹などアッパー層の顧客を抱える百貨店での販売を始めるなど、「高級感ある」ブランドの浸透を図る努力を続けています。耕作者が減り、収量が減り続ける常陸のそばは、益々高級化が進むのだろうか。

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