「健康たっしゃか村」を運営する農業法人「深作農園」の深作勝己さんは、3代続くメロン農家の若手経営者。祖父の代から始めたメロンの直売は「現在どれくらい生産しているのか分からない」という規模に発展。メロンばかりではなくイチゴ、トマト、ブドウ、ジャガイモ、小麦、アスパラガス、ミツバ、サツマイモ、鶏卵、養蜂と農業規模を拡大させ、さらにはバウムクーヘンの製造販売にまで着手。震災直後にはそのバウムクーヘンがモンドセレクションの金賞に輝くなど快進撃を続けます。茨城農業の未来をけん引するバイタリティーはとどまるところを知らないようです。
何もないゼロからのスタート
「祖父は分家だったので、わずかばかりの畑から農業を始めたんです」と、勝己さんは深作家のルーツを語ります。ミツバの栽培から身を起こし、農協の理事にまで登り詰めたそうですが、「メロンの直売をやったら追い出された」と孤立無援の状態に。しかし、メロンの直売は成功し、今日の隆盛への足がかりをつかみます。
とはいえ、メロン栽培は順風満帆ではありませんでした。メロンはイチゴとともに難しい栽培技術が必要です。連作障害がつきもので、農薬を使わず全滅させたこともありました。そんな試行錯誤のなか、EM菌農法という土壌改良方法で、豊かな畑づくりにも成功したのです。
観光農園としてメロン畑やイチゴハウスも開放
現在メロンハウスは200棟を数え、イチゴは年間40万本もの株を育てています。規模が大きくなっても決して手を抜くことはありません。手間ひま掛けるのには「余計なことを省く技術も必要なんです」と勝己さん。明治大学農学部出身の勝己さんの農業知識は、深作農園で一気に花開きます。
メロンは普通1回ですべての果実を収穫してしまいます。深作農園では完熟ぎりぎりまで育て、ひとつのハウスでも5回、6回と分けて収穫するのです。手間の掛かる作業ですが、市場出しのメロンの糖度が平均14度というのに対して、深作農園のメロン糖度は18~20度という甘さを実現。直売所に人を引きつける魅力あふれるメロンが深作農園の強みなのです。
オンリー1のバウムクーヘン
農業経営のかたわら、勝己さんが挑戦したのは「Farmkuchen Fukasaku(ファームクーヘン フカサク)」です。深作農園で収穫したもので、消費者に喜ばれるものをーと、目を付けたのがバウムクーヘンでした。農業県である茨城の総力を挙げてのバウムクーヘンを作ろうと決意したのです。小麦、卵は豊富にあり材料には事欠きません。しかもバウムクーヘンは元々お祝いの菓子。贈答用にも年間を通して需要が見込まれます。さらに製造工程を見せることで、食の金看板である「安心、安全」をアピールできる店舗を作りました。
そこで作られるバウムクーヘンは「HOKOTA BAUMU」と「鉾田の白いやどかり」という2種類。昨年2月にオープンしてからその味は評判となり、製造開始からたった1年で「スイーツのノーベル賞」と称されるモンドセレクションで金賞に輝いたのです。2種類のバウムクーヘンのW受賞は前例のないことで、「農とスイーツの融合」が図られたのです。
震災直後に届いた朗報
3月11日の東日本大震災ではさすがの深作農園でも客足は遠のいたそうです。自宅も屋根瓦が損傷するなど大きな被害が発生しました。直売所やバウムクーヘンの施設もダメージを受けました。幸いにも約5.5ヘクタールのメロン畑も約5ヘクタールのイチゴ畑もハウス栽培であるがゆえに、原発事故の風評被害は最小限に抑えられました。
とはいえ、震災復興へ向け毎日を夢中で過ごしたという勝己さん。消費者を呼び戻そうと懸命な努力を続けている4月上旬のこと、遠い海の向こうから、忘れかけていた先の「モンドセレクション」受賞の知らせが届いたのでした。その知らせは再建に向けての何よりの励みとなったのです。
命に関わる職業意識で未来を
勝己さんは「農業は川上産業なんです。人の命に関わっている産業」と、強い農業者意識を持ち続けています。農作物の栽培から販売、加工に至るまで、常にエンドユーザーである消費者の視点に立つことを忘れていません。
深作農園は「お客さまとともに大きくなってきた」と、消費者の要望に添って変ぼうしてきた経営方法が間違っていなかったことを裏付けています。これからは培ってきた自然農法を生かして「少量多品目」から「多量多品目」を目指しています。新たな加工品への挑戦も視野に入れ、原発事故の風評被害を農業の総合力で乗り切り、深作農園はさらに規模を拡大していきそうです。
深作勝己さんは現在95歳になる曾祖母と自分の子どもを合わせ5世代の家族で、仲良く日々の生活に励んでいます。メロン農家として47年、イチゴ栽培27年の歴史と誇りが深作農園の家族愛によって支えられているのです。