つくば市の郊外に広がる平野林の中に建てられたハウス群が農業生産法人株式会社TKFの本社でした。代表取締役の木村誠さんは東京板橋出身の脱サラ就農者です。夫婦たった二人で始まったベビーリーフづくりですが、年々規模を拡大。県内有数のベビーリーフ生産法人に成長させました。その成長には運もありますが、常に先を見つめ布石を積み上げてきた木村さんの経営手腕が大きいようです。
公認会計士から農業へ進路を方向転換
-木村さんが農業を始めた経緯はどのようなものなのでしょうか?
木村さん 私の実家は歯車を作る町工場です。大学を出て簿記学校で公認会計士の勉強をしていました。会計事務所に勤めていたころ、高校時代の友人からつくば市内にある父親の会社の経理を見てくれないかと頼まれたのです。その会社は岩石から抽出したミネラル液を生産販売している会社で、有機農家の土づくりに役立っていました。農作物の連作障害を防ぐためにはミネラルが大切なのです。健全な野菜づくりに欠かせないのがミネラルです。
脱サラから独立へ
-元々はその会社の経理を担当していたのですね。
木村さん はい、でも経理の仕事よりミネラルなどを扱っている方がおもしろいと感じて、その会社へ就職させてもらいました。主に農業資材の販売営業を担当して、いろんな有機農家との付き合いも始まりました。3年間働いたのですが、自分で農業を経営してみたいと思い、キュウリ栽培をしてみたいと思ったのです。でも農地を借りるにも、ハウスを建てるとなると地主さんは農地を返してもらえなくなると思うようで、貸してもらえませんでした。その後葉物が良いということでホウレンソウに目を向け、さらにベビーリーフにたどり着きました。
販路を確保してからの生産方法
-ベビーリーフを始めた当初はどのような状況でしたか?
木村さん ベビーリーフは露地での栽培が可能です。平成10年に約40アールの農地でスタートしました。まだ国内では栽培農家も少ない時代で、全量買い取ってくれるという方がいて、販路が確保されているのなら大丈夫だろうと始まったのです。当初は有機農家さんと一緒に始めました。私のところでは家内と二人で始めたのですが、作り方も試行錯誤で約束の収量を収穫するために苦労しました。約束を守らなければ契約を打ち切られると思い、必死で取り組みました。
1億円を目前にして法人化を決意
-農業生産法人化へはどのような道筋だったのでしょう。
木村さん 年々収穫量も上がり、パートさんなども増やしていきました。ハウス付きの農地も買うことができるようになり、販路も拡大していきました。年々、売り上げもアップしていき、1億円が見えたころに法人化した方が良いと言われ、平成16年にTKFという販売会社を興しました。さらに平成19年に現在の形のTKFという農業生産法人になりました。現在は大小60社と取引がありますが販売先はあるのに生産が追いつかないという状況です。
ベビーリーフ生産の将来像
-これからTKFはどのような方向を目指しているのでしょうか。
木村さん 年間安定供給が目標です。そのため、長野、岩手、秋田、千葉、九州などの仲間と連携を取りながら、産地リレーで供給体制を確立しています。やるからには日本一のベビーリーフの生産法人を目指します。さらに有機で差別化できるホウレンソウやニンジンを加えて3本柱にしたいと考えています。社員も農家というのではなくサラリーマン感覚でベースアップやボーナス、退職金まで考えてあげたいですね。ベビーリーフは今は第2次の波が来ており、栽培が地方に広がっています。次に第3次の波が来ます。それは価格競争で、生き残りをかける時代に突入するはずです。
【取材録】
TKFは順風満帆で現在の地位を築いたわけではありませんでした。しかし、就農の際に木村さんは農協に相談を持ちかけ、農業改良普及センターを紹介され、新規就農のための資金を得ることができました。経営計画をきちんと立てて、経営者感覚で農業への道を歩み始めたのです。それが結果的に、法人化の際に全農いばらきの出資を受けることにもつながりました。TKFは順風満帆で現在の地位を築いたわけではありませんでした。しかし、就農の際に木村さんは農協に相談を持ちかけ、農業改良普及センターを紹介され、新規就農のための資金を得ることができました。経営計画をきちんと立てて、経営者感覚で農業への道を歩み始めたのです。それが結果的に、法人化の際に全農いばらきの出資を受けることにもつながりました。さらにトヨタの車づくりのノウハウを受け、栽培方法の合理化も実践。奇をてらうことなく、農業経営の王道を歩み続けています。
>ホームページ http://www.t-k-f.jp/