小さな農家が生き残るために設立した組合法人と違い、主産業だった結城紬に力を注ぐために始まった法人。しかし、本来の目的だった結城紬は減産の道をたどり、軸足は農業にシフトしてきたのが宮崎協業だ。代表理事としてリーダーシップをとる秋元昇さんの現場は、関東平野の広さを実感させるスケールを味わうことができる。
創立昭和46年の”老舗”は大規模経営で、作業の効率化を図る
-昭和46年に法人化したというのは、当時としては先進的な取り組みだったのではないでしょうか
秋元さん この辺は紬の生産が盛んで、当時、農業を簡単にして、その労力を紬生産に向けたいという思いがありました。1戸1ha位の規模の小さい農家で集落農業をやっていくのは大変なんです。協業することで、米以外にもホールクロップ、麦やソバ、ネギ、大豆なども作ることができるようになりました。
-現在の規模はどのくらいあるのですか
秋元さん 65haの面積で、稲作、麦作が中心です。組合員は17人います。結城用水系では300町歩あるといわれていますが、なかなか規模の拡大は難しいですね。能力的にはまだまだできる余力はあるのですが。協業の場合、何をやりたいかという目的意識を持たないと成り立ちません。個人の責任感が薄いと、協業は難しいと思います。
-組合法人として社会的な役割も果たしていますね
秋元さん 今年10月に結城の町なかに直売所を作ります。ここには加工場もありますので、味噌、そば、まんじゅう、古代米などオリジナルブランドの農産品を販売していきます。地元の雇用創出にもつながります。秋には収穫祭みたいなお祭りもしています。このあたりでは見ることができないプロレスなんかもやって、組合員などに喜ばれています。
-東京都内の団体とも交流が図られているようですが
秋元さん 東京の豆腐屋さんによる3反プロジェクトというものもあります。これは、こだわりの豆腐を作るためにいろんな種類の大豆を持ち込んで、試作したりしています。県の奨励品種じゃないので、補助金などつかないのですが、試行錯誤しています。
-コンバインなどほかでは見られない機械がすごい
秋元さん 麦、大豆、そばなどそれぞれ専用のコンバインがあります。オランダ製で北海道などの大規模農地で活躍しているのと同じですね。幅約4・5mほどありますが、一気に刈り取りができる。これもスケールメリットの一端ですね。
-あくとの里というネーミングは
秋元さん ここは、鬼怒川の沖積土で肥土(あくと)と呼ばれています。食味の良いものが採れます。さらに行動するACTをかけています。地名は宮崎という場所なので、キャラクターは「みやちゃん」という女の子を登場させています。こちらも多くの人にかわいがってほしいですね。
【取材録】
父親の跡を継いで22歳から組合員としてこの地に根を下ろしている秋元さんは、請われて市会議員も務めている。「だらだら経営をしていたら、個人の意欲ある農家にやられていまう」という危機感を持ち続けているが、取材の翌週、中国からの研修生とともに、ディズニーランドへ行くのが楽しみ―と、遊び心も忘れない。仕事も遊びも真剣に取り組む姿勢に、大規模農業の経営者としての資質が備わっているようだ。
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